創世記のお話を抜粋させてもらっている訳ですが、本当に当時の方々の苦労が手に取るようにわかりますね。
手探りの中にも大きな情熱。
それは河南地区を盛り上げたいと言う純粋で強い信念が感じられます。
当時は會神輿もなく、地元で作った神輿を担いでお祭りを盛り上げていたんですね。
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写真では小さな御神輿ですが、大きな思いが詰まった立派なお神輿に見えます。
なんせ手作りですからね。
担ぎ手の思い入れが全く違いますよね。
榊山稲荷神社のお祭りに参加した事を機に「市民総参加の祭りと言う趣旨」で南會の会員が増えたとあります。
こちらにも新しい考え方があったようで当時はまだ男女の格差があった神輿にも男女の区別を付けない事にしたようです。
つまり昔の偏見を変えたのでしょう。積極的な参加を呼び掛けたそうです。
そうして徐々に担ぎ方や組織、南會独自のものが作り上げられていったそうです。
盛岡は昔から中津川をはさんで「河北地区」と「河南地区」と言う区分けがあり、河北地区には睦会様があるので、この会は河南の”南”をとって「南會」とすることに決まった。南大通の”南”、旧南部藩の”南”にも共通する”南”だった。
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皆様どうでしょうか?
10周年記念誌を読んでみたくなりませんか?
私の手元にあるのはカビがびっしりと映えた記念誌ですが、綺麗なものも松の間にはあるようですよ。
松の間に行って打合せまでの時間や酒を飲んでいる時間に読んでみる事をお勧めします。
と言う事で本日はここまで。
- 2017/03/24(金) 08:00:00|
- カヌっちょ
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