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俺たち神輿系~盛岡八幡宮南會~

お神輿、お祭り好きが伝統を継承しています。

「雑書」の世界~その5~

盛岡八幡宮が延宝八年(1680年)に建立され、初めの祭礼は翌年の延宝九年八月十四日~十六日まで盛大に行われたようです。


七月二十三日に、流鏑馬の射手として似鳥五右衛門・関半助・川村久七が、射手奉行として戸来六右衛門・沢田勘右衛門・近内長右衛門が、惣奉行に佐藤甚之丞が任命され、八月一日から八幡長床へ宮籠り(祈願などのために神社にこもること)した。また同日から十七日までの間は諸商売は許されたが、諸勝負事は禁止され、見世物などは役人に伺いを出させることにした。八月十二日からは見物人が大勢となったので、警護役人が増員されている。

なんだか全くよくわかりませんが、厳重に厳重を喫して祭礼が行われたのが良くわかります。

ここでいう勝負事って何でしょうね?賭け事でしょうかね?

きっと当時の博打が大好きな人達はこのようになっていたんではないでしょうか?

20190413 カイジ

「俺は勝つぞ…絶対に勝って、このクソみたいな人生から抜け出すんだ~!」

ってね…。

……。

…。

さて、見物人が多かったという事は庶民もみんな押し寄せたという事なんでしょう。

それはきっと一般参拝が出来るという事もあって、歓喜にあふれていたように感じます。


八月十四日になると、宮籠りをしていた者と惣役人が城内の鳩森八幡社へ参詣し、神輿のお供をして「八幡御旅所(盛岡八幡宮)」へ向かった。「神輿担ぎ・鉾持・幡持・獅子持・太鼓持・御甲箱持・御具足箱持」の32人は八幡町から出た。この神輿渡御に続いて、藩主の重信は子息の愛信と同道して参詣し、家老の桜庭十郎右衛門は若殿であった行信の名代として、太刀目録をもって代参した。

みんなで盛岡城から八幡宮へ行列を成して移動し、殿様は子供と一緒に向かった事はわかりますね。

チャングム4321さん

まぁきっとこんな感じだったのでしょう。

ニヤケている4321さんはきっと時代が時代ならその場で切られていた事でしょう。


この祭礼以後は、藩士の城内八幡への参詣は禁止され、庶民ともども盛岡八幡へ参詣するように変更された。祭礼はその後も毎年実施されていたが、元禄十五年(1702年)だけは、六月十八日に前藩主の南部重信が死去していたので中止された。

この時点では鳩森八幡社は城内に残り、分祀したような感じなんですかね?

そして殿様以外は盛岡八幡宮に参拝しなさいというように決めたようですね。

まだまだつづく。
  1. 2019/04/13(土) 08:00:00|
  2. カヌっちょ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

君が!

ニヤつきではなく一般の方々に対する
ほほえみです。
目上の人によく噛みつく
あなたがバッサリいかれてたと
思いますよ。
  1. 2019/04/13(土) 08:45:37 |
  2. URL |
  3. 4321
  4. [ 編集]

あは(笑)

微笑みと言うんですね〜(笑)私は命がいくつあっても足りなかったことは間違いありませんね(^^)
しかし、ブログではキャンキャン噛みつきたいと思います(≧∇≦)ブヒャヒャヒャ
  1. 2019/04/13(土) 10:56:47 |
  2. URL |
  3. カヌッちょ
  4. [ 編集]

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